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Channel: 最後の学門「秀思學」のすすめ
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イエスと釋迦の洞察力の差を考える。

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▼質問
イエスと釈迦とでは、どっちのほうが物事への洞察力をより深く持っていたのいかということについて考えるというのは、空しいことなのでしょうか。

△回答
空海も西安で、景教の般若三蔵(?)とイエスと釋迦はどちらが予言者として優れているか?、を議論し合ったと記録されています。四国八十八ヶ所廻りは耶蘇開くという予言で、聖書のイエスの譬えが翻訳されて真理矢が現わされた時が救いで、弥勒メシア降臨の七(椅子仮汚手のユダによる産業革命の月の闇世)の世の開花の後(56億7千万年後)で、実魂作りに入って、真珠(パールの=羽在る=翻、蘇、翔=預羽)魂を完成して天国に飛んで入ることができると教えられています。

聖書はイエスの譬えとヨハネの翻訳の耶→蘇教の二度読まれる。二回とは櫻の理で、殻田を作ってから実魂を作る、幼児(七才)→成人(八九十=卆業)の二度の人生=往きは宵酔い(無=ラッキーセブン)、帰り(神選り、果得理)は怖い、天神様の細道は廾の苦労によって天国に旅すると定められています。

廾→苦→苗→描(寝猫→錨を揚げる)=怒(嫉妬)→努=穴に矢=石(ストン=主に豚)→山(SUNのSON=陽光子)=岩、ロック=錠、金(GOAL戸)の定め=天岩戸を開く

これは君が代の「チヨにヤチヨ(地代→屋智代)にさざれ石のいわお(石→山=岩王)と成りて、こけ(古稀)の結ぶまで」にパラレルです。

仏教、仏典は殻田作りの耶教で、神(創造主)が真理を隠して物品による殻田の繁栄を図る真如で、阿弥陀如来、大日如来と、仮経であることが明示されているのです。つまりイエスの譬えで迷いと謎の米国主導、自由の女神で右手右足を解放して、左足は鎖に繋がれたままで、神と人の二人三脚で天国への旅はできない幼児時代を表しています。

聖書の本題は、真珠湾攻撃と911テロで人類は目覚める筈で、人間(イスラエル=意主羅を選んで得る=猶太=モーゼの戦い)のユダの商人我利根性の反省期間の70年は2018年で終わると明言されています。

イエスの遺言=ヨハネ(48音=凡てを輝かすあいおーんの光雲)とマリヤ(真理矢)は
親子となれ

空海の遺言=今ははや、後世の勤めせざりけり、あうんの二字のあるに任せて。

仏教は真如、如来の物品時代限定の仮経です。聖書は譬え(真如)と真理の二回読まれるので基教ともいうのです。イエスの譬えの壁を破るのは日本語の48音の言霊力である、イエスはこの雲に隠れて救いに再臨すると予言されています。聖書を読み変えることが黄泉から光の中へ出ることで、盲人の開眼(穴に矢=子実魂作り)であります。

嘆きの壁=漢字が壁を破って神に勃起(エレクト=選択)する、汚床(穢場、エバ)を研いて男(真運=天使、天子)になる智恵である。


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