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Channel: 最後の学門「秀思學」のすすめ
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元号の漢字の間違いと甲子園は連携した神示である。

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昨日のブログの続きです。この度の新元号に秘められた最大の神示は、漢字は神示なり、漢字には聖書に匹敵する神示が込められている、漢字によって聖書の理解が倍増することはもとより、類似漢字には神の想いと働きの連携をを辿ることができて、頭を整理することができるように整えられているのです。驚嘆するジグソーパづるの智恵を知る時、漢字は神の作られた神示である、と結論されます。

この度のように「令」の字は6通りあって、すべてOKというのは、せっかくの神示を破壊していることであり、漢字の原義を知らない書道家の芸術家気取りの傲慢の罪が生み出したものです。
これは、聖書の読み方は一つであるのに、みんなが神の心を知らないので様々な読み方が人間界では許されていることと同じです。神示を歪めてしまうことはイエスを処刑して変わるに釈放された先導者バラバと釈放したユダヤ人たちの罪であります。
日蓮曼荼羅では増長天で、夏のナッツ(どんぐり頭)であると示されています。夏が過ぎて、結実の秋に入った今は、広目天の普賢菩薩、観音としての智恵を開眼」しなければなりません。

元号発表の翌日である今日の甲子園では準決勝の二戦があり、滋賀の習志野高校と、愛知の東邦高校が決勝に進みました。漢字の間違い=習字に目覚めよ、習志野の君となれかしです。愛知はニイタカヤマの新エルサレム(ヒヨコをニワトリに育てるの二回目の手かざしのアナニヤ)に入る入り口で、東邦は東の日出国の日本の意味はあり、日出るは創造主の親の愛の智恵が輝くことです。邦=丰(すがた、主型)に翁里、神と人の一体化をする里で、日土が差を取る、人間が三位一体を完成するところなり、です。

岐阜高山に主座を建立した崇教真光の二代教え主は本名を井上甲子といい、三代目教え主は書道家としても活動しています。元号の発表と甲子園として習志野、漢字をす神示として勉強する秋なり、これに目覚めて最後の学問「秀思學」のすすめを天命としているわたしですが、テレビ小説「さくら」が放送された場面に高校の校長室に「秀思学」という額が掛けられていて、この文字を自分のタイトルにしたのです。

その後、この額縁は「秀行学」に変えられていたので、こちらは知恵袋で使っています。これを書いたのは校長の友人で外国帰りの書道家(沼田燿一)で、さくら達にも書道を教えます。そのシーンでは「禾の字は稲の意味がある、習字を通してこれを勉強してみるかね」といいます。つまり人類史漢字に神示在り教えていると教えられている思えます。

さくら(高野志穂)は古川に下宿します。その家は和蝋燭作りをしています。仏教の伝統的な光と、911テロ後に出される聖書の先にある真の光との対比を勉強せよと教えられているのです。ハワイ在住のさくらは日本に侍を探しに来た、とも言います。

聖書には一言一句引いても足してもならない、これをした者には聖書の中にある禍を受けることになるとあります。聖書は創造主が書いて、翻訳もして、2千年間守りづけてこられた厳粛なものである。
漢字も創造主が作られて、中国から日本に移された時も神がアレンジされているので、矛盾はない。整えられた連携で滑らかに読めるようになっている。辞書の漢字と書き漢字があるとされ、どちらでもよいとされるが、辞書の漢字はスムーズに読めるが、書き漢字は迷う、書道家のアレンジなので、連携がとられていない。

この度の「令」の字で、多くの人が漢字に疑問を持ったにようですが、これは漢字は神示なり、勉強すれば救いの真理、神理を得るであろう、の神の声に違いありません。6種の「令」の字はどれを使ってもよい、の言葉に乗ってうやむやにしては救いを頂けない。漢字を崩したのは書道家の責任ですから、これからは一画一画の意味を究明して、神示を多くの人に伝えるという罪滅ぼしをするべきであると思うのです。

令和の元号の発案者は中西進氏である。=ウエスト(廃人=中毒患者)発病中にあって、快癒はニワトリの鶏冠、十栄、魂の真珠化に精進することである。

令=命の完成に向かってマイナス思考を叩いて天に向かうところであるが刀を持つ殻田(口)がない、脅し(口先)だけで実践がない

書道家は茂住修身氏=萌墨,、肉体本能の獣性肉体本能と戦う人






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